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ありゃま、1センチの社会にビジネスのヒントがあった!?

蟻は働き者だなと皆はいう。「蟻とキリギリス」で育てられた筆者も蟻のように働かないといけないと教え込まれてきた。しかし、実際の蟻の社会はもっと複雑だった。本日は、長谷川英祐氏の「働かないアリに意義がある」を紹介したい。

 

 

 

上手く皆のように出来ない奴が社会には必要なんだ

 

蟻は餌をみつけると巣にいる応援部隊をよび皆で力を合わせてそれを巣まで運んでいく。たくさんの蟻が大きな虫を運ぶ姿はよく見かける光景だ。その餌までの道のりは先頭の蟻がだすフェロモンにより示され、後ろの蟻たちはそれに続いていく。ところが後続の蟻の中には周りと同じように出来ない蟻が一定数存在し、そいつらは餌までの道のりを1直線で進まない、進めないのだ。あっちへフラフラしこっちへフラフラし、遠回りをしながら餌のある場所まで皆についていくのだ。もし蟻に感情があって言葉が話せるのならきっと「真面目に歩け」と大喧嘩が起こりそうなところだが、幸いなことに蟻にはそこまでの智恵がない。だから真面目な蟻たちはそんなフラフラしている蟻を横目に一心不乱にまっすぐ歩き続けるのだ。ところが全ての蟻が優秀で皆が一直線、一心不乱に餌まで駆けつる集団であった場合と、このように群衆の中にフラフラとついていけないものが一定数いる集団とを比べると、なんと後者の方が仕事効率が高いのだ。このフラフラと真っ直ぐ歩かない、歩けない蟻たちが実はその寄り道の最中により効率的な道を発見していたのだ。

 

これは私たち人間の社会でも同じことがいえるのではないだろうか。みなが「右向け右」で同じ方向に向かって歩くことは短期的に見れば生産効率は上がるだろう。しかし長期的な視点に立ったときに「変革が起こらない組織」というデメリットは無視できないほど大きいと思う。つまり、皆と同じに出来ない人も社会には必要不可欠なのだ。

 

 

個性が必要なんだ!

 

蟻には指揮命令系統が存在しない。だから蟻が統率のとれた行動をするためには1匹1匹がある刺激に対して異なるリアクションをとるという「個性」が必要になってくるのだ。あの小さな蟻にも個性があることには驚くばかりだが、確かに餌を見つけたからといって全員が出動したら労働効率は著しく落ちるだろう。

 

これを私たちの社会に置き換えるなら、仕事の速い奴、仕事は遅いけど熟考する奴、新しいアイディアにすぐに飛びつく奴、保守的な奴。色々居るから良いのだ。ずっと同じことが間違いなく起こり続けるのなら個性など不要だが、私たちの生きる社会は不測の連続である。私たちの社会も蟻たちのミクロの社会もそう変わらないのかもしれない。

 

さぼってるんじゃねぇ!様子を見ているんだ!

 

蟻たちをよく観察するといつも働いているのはほんの一握りで多くの蟻はのんびり暮らしているのだ。しかし、もし全ての蟻が常に自分の100%を出して働いていたら予期せぬことが起きたときにどのように対応することができるのだろうか。つまり、働いていない余剰の蟻が絶対に必要なのだ。ただ、重要なのはここでいう働いていない蟻というのは働きたくない蟻ではないということ。何か予期せぬ事が起こったら喜んで働く蟻を指しているのであって、誰かの働きにただ乗りしようという蟻ではないのだ。そんなただ乗りをする蟻も中にはいるけれど、もしそれらの蟻が増えてしまったコロニー(集団)は簡単に滅びてしまうのだ。

 

私たち人間は個人間の労働に不平等がでないように上手くコントロールする必要はあるけれど、これも私たちの社会に一致するところがあるだろう。

 

 

おまけ

 

蟻の世界では出産するのは女王蟻のみである。もし他の働き蟻が子を産んだとしても他の働き蟻がそれを排除するのだそうだ。生物の授業でなぜ子を産むのかの理由として「種の保存」や「自分の遺伝子を残すため」だとかそのようなことを我々は習ってきた。だからこの蟻の行動はひどく矛盾した行動のように思われる。しかし、実はこの蟻の行動は「社会全体の生産性を保つ」と「自分の遺伝子も残る(母親はみな同じ女王蟻だから)」のバランスをとった合理的なものだったのだ。

 

これもなんとなく人間の社会、特に今の日本の少子化に共通するところがあるようにも思えるのは筆者だけだろうか。

 

 

まとめ

 

蟻の生態を細かく観察してみると、蟻の社会には人間の社会と似ているところがたくさんあることが分かる。蟻を観察することで、もしかしたらよりよく生きるヒントを私たちはそこに見つけることが出来るかもしれない。

 

 

本日は、「働かないアリに意義がある」を紹介しました。興味のある方は是非一読してみて下さい。

 

では、今日はここまで!!

またね!!