英語の時間と休み時間

ちょこっとタメになる独り言

条件節の if にも未来形? やっぱり言葉は気持ちが大切なんだな

今日もマーク・ピーターセン先生の『続日本人の英語』を読んでいて驚いたことがありました。

筆者は高校生の頃「副詞節の if の中は未来のことでも現在形」と教わったし、今もそうだと信じていたが、実はそうではないらしいですね。

これは、本当にショッキングでした。いや、そんなの当たり前じゃないかと思われる英語上級者の方もいらっしゃるとは思いますが、少なくとも筆者はそんなこと知らなかったですし、高校生相手に堂々と「副詞節の if の中は未来のことでも現在形で表すんですよ」とドヤ顔で言っていました。・・・すみませんでした。

(もちろん名詞節の場合はこうではないというのは知っていましたよ。自己弁護するつもりはないですけれど・・・。)

では、その違いを少し説明します。

[ If I am late , I will call you.]

これは、普通の高校生になじみ深い [if] の使い方ですね。
つまり、「if の中が現在形で表されています]
「もし遅れてしまったら電話します」

では、次の [ will ] が入ったパターンだとどうなるのでしょうか。

[ If I will be late, I will call you.]

本当にこれは正しいのだろうかと筆者のようなレベルの英語学習者はドキドキしてしまいますが、ピーターセン先生は間違っていないというのです。
氏の説明によると、これを日本語訳すれば「もし遅れることになったら、電話します」となるのです。

つまり、「今はまだ遅れる心配はないけれど、これから何か突発的な仕事などが入って遅れることになったら」というときは「 副詞節の if だろうが will を使うのです」

氏は逆に「副詞節の if は未来のことでも現在形で表す」という文法書の方がおかしいと著書の中で主張しています。未来のことならwill で表すのが普通であると。

もう一つ例文を挙げます。
[ If he goes, I will go.]
「もし彼が行くなら、私も行きます。」
しっくりきますね笑。

では、[ will ] を入れてみます。
[If he will go, I will go.]
「彼が行くと言うなら、私も行きます」

これから「彼が行く」と言うから(行かないと言うから)、[will] なんでしょうね。
また、[ will ] が入っている分だけ彼の「意志」が反映されていて、[ If he is willing to go, I am willing to go too.] のニュアンスに近いという話ですね。

でも、先日と同様にこのネイティブの感覚って本当に難しいですね。何となく分かるのですけれど、実際に自分で英文を作る、話すという段になったらこの違いをしっかりと意識して使い分ける自信はないですね。

これは驚いたと思いブログで紹介したけれど、正直自分で使いこなす自信は無いです笑。ただ、「 副詞節の if  で未来形が使われていても 」 それだけで無条件に間違いになるわけではないということは知っておいて良いのではないでしょうか。

ちなみに、この広く「副詞節の if は未来のことでも現在形」という文法が広く信仰されている理由を ピーターセン先生は、[ If it rains , I won't go there.] と書くところで [ If it will rain , I won't go there.] が間違っている理由を当時の英語の先生たちがうまく説明できず、「 副詞節の if は未来のことでも現在形」と 「理屈抜きのルール」を作ってしまったところにあるのではないかと著書の中で推測しています。

まぁ、これはあくまでも氏の推測ではありますが・・・。

それにしても、この本を読んでいると自分の英語力の低さを思い知らされて悲しくなりますね。また、何かハッと思うところがあったらブログで紹介したいと思います。

では、今日はここまで。
またね。
 

「The」を捨てる勇気が必要?自分の感覚を信じて言っちゃえばいいじゃない!

[the] や [a] の考えは日本語に無い感覚だから、どうすればいいのかとても悩みます。以前のブログでも紹介したのですが、[ I ate a chicken last night.] という英文を書くと「昨夜、一羽丸ごとチキンを食べた」という意味になってしまい、とても不自然な英文になってしまいます。だから「昨夜、鶏肉を食べた」と言いたいときは[ I ate chicken last night.] と無冠詞で書かなければならないのです。

[a] は「一つ丸ごと」の意識を持つことが大切だとアメリカ人の友人は言っておりました。だから、逆に [I have dog.] と書くと少し恐ろしいイメージがわくのですね。「犬の肉を食べた?」みたいに。(ただ、これに関してアメリカ人の友人はそんなことはないと笑っていました笑。というか、アメリカ人もイギリス人も誰でも人間ですから、そんな些細な文法の間違いでおかしな想像をすると考える方がそもそもおかしいですよね。また、アメリカ人の友人に [I ate a chicken last night.] の話をしたとき、男の人なら[a chicken] を食べてしまう人もいるからそれはそれで成立すると言っていましたね笑)

数えられる名詞の前には [a] や [the] を置くというように学校で習うので筆者も含めて多くの日本人が不要な [the] をつけまくってしまいます。マーク・ピーターセン先生が言うには、日本人の英作文を添削するとその半分近くの文章に不要な[the] がついているとのことです。

 

先生によると [the] を付けた方が英文らしくなるという馬鹿馬鹿しい意識を日本人が持っていることが大きな原因であるというのだけれど、耳が痛いですね。本当にその通りだと思いました。

 

この [the] の根本にある意識は「共通認識」であるということ。ここを強く意識するだけで [the] 問題は少し改善するのではないでしょうか。また「純粋不可算名詞」というものの数は本当に少なくて、ほとんどの「不可算名詞」とよばれるものは場合によって「可算」になると考えて良いのです。だから英文を書くときにはもっと自分の感じ方を信じても良いのではないでしょうか。 [a] は「1つ丸ごと」、[the] は「共通認識」と。

と言っても、 [the] や [a] は奥が深すぎて一朝一夕に理解するなんて無理ですね。私もよく分かりません。マーク・ピーターセン先生も、「日本人は [the] の普遍的な使い方を知りたがるが、言葉はそんなに甘くない」と述べているくらいなので、そんな簡単に片づけられるものではないです。

ただ、本日読んだマーク・ピーターセン先生の『続日本人の英語』に、[the] 問題がすべて解決する魔法の教えにはならないけれど、面白いと思う事例が書かれていたので紹介したいと思います。

オードリ・ヘップバーン主演の『マイ・フェア・レディ』という作品の中で主人公のイライザ(オードリ・ヘップバーン)が 発音矯正として [the rain in Spain] という歌を歌わされるのですが、ここでなぜ [rain] に [the] が付くのかということを著書の中で説明されています。とても面白かったです。

要約すると以下のような感じになります。

[rain] は無冠詞で書くのが一般的です。だから、[rain in Spain] が普通です。これで普通の「スペインに降る雨」になります。だから無難に書くならこれで十分です。

では [a rain in spain] はどうなるのでしょうか。
答えは「色々な種類の雨がある中で、その時に降ったスペインの雨」のニュアンスが出るそうです。つまり、雨の種類を意識した表現ですね。

では、映画の本編で歌われる [the rain in Spain] だとどうなるのでしょうか。
答えは「色々な場所で降る雨はあるけれど、スペインで降る雨は・・・」と他の地域で降る雨は知らないけれど「スペインで降る雨は」の部分が強調されるのだそうです。

こんな冠詞一つで、そこまで英文の違いを感じられるような感覚が身に着くまでどれくらいの時間がかかるのだろうか・・・。いや、一生かかっても手に入れられないかもしれないですね。

また、著書の中では、他にも [ Why can't the English teach their children how to speak English.] 「なぜ、イギリス人は自分の子どもたちに英語の話し方を教えようとしないのか」という [the English] と [ English people] の違いにも言及しているのが面白かったです。

要約すると以下の感じです。

この [the] は愚かさの前提・没個性があるのだそうです。だから、[the English] というのと [English people] というのでは、訳せば同じ「イギリス人」なのだけれど、その根底にある意識はだいぶ変わってくるのだそうです。[the English] には「イギリス人といったらこうだよね」という侮蔑的な意味、「個の存在が認められない・イギリス人はみんなそうだよね」という感情が込められてるのです。

だから、もし英字新聞などで[ the Japanese] と書かれている時は、少し覚悟しなければいけないのかもしれませんね笑。

結論として何が言いたかったかというと、私たち日本人の英文には不要な [the] が多すぎるという問題があること、名詞の前には [a] や [the] を必ず置かなければいけないという強迫観念をときに捨てることも必要だということです。

では、今日はここまで!!
またね!!

 

受験に使える英単語・英熟語

今日は英単語・英熟語を3つ紹介します。

1 bump into~
2 grasp
3  hack up


bump into ・・・偶然出会う

「偶然出会う」は他にも[come across]で表現が出来る

[by chance](偶然)という副詞句を一番最後におくことでも表現可能

I bumped into Mike on the way back to my house.
家に帰る途中、マイクに偶然出会った。

I came across a friend of my high school days at Shibuya station.
高校時代の友達に渋谷駅で偶然出会った。

I met Mike by chance.
マイクに偶然出会った。

どれも「偶然出会う」と表現できるけれど、[by chance]が一番簡単で「偶然を表す」には一番楽だと思う。別に「出会う」という文脈でなくても使える。

I saw Mike crossing the road by chance.
マイクが通りを横切るのを偶然見た。


grasp・・・捕まえる

勿論 [grasp] は「つかむ」「握る」が基本的な意味。
ジーニアスによると [take] より力を入れて握ることと書いてある。

I grasped the rope so as not to fall.
落ちないようにロープを握りしめた。

so as to ~ = in order to ~
~するために

so as not to ~= in order not to~
~しないために

ちなみに [grab] も似たような言葉でよく使われるので覚えておくとよい。
[grab]・・・「ひっつかむ」「ひったくる」と辞書には書いてあるけれど、もっとカジュアルに使われている。

I grabed these photos from facebook of my friends'.
これらの写真を友達のフェイスブックから持ってきた。

I grabed coins in my pocket.
ポケットのコインを掴んだ。

話を元に戻すけれど、[grasp]は上記の意味が基本であるが、「意味を理解する」というときにも使われる。

I couldn't  grasp what he said at that time.
その時彼が言ったことを理解することは出来なかった。

もちろん [understand] が最も一般的な表現だけれど、意味を「捕える」とは日本語でも言うから、ニュアンスとしては同じ。[catch] でも表現できる。
しかし、はっきりと「理解する」ということを伝えたいときにはやはり[understand] がベスト。


hack up ・・・ずたずたに切り刻む

もちろん、[hack] といえば、「インターネット上で情報を盗むこと」が今一番使われている用法であるが、上述の意味もあるので併せて覚えておくとよい。

ちなみに「紙を引き裂く、切り刻む」ときの「引き裂く」は [tear] である。「涙」の[tear] と同じ綴りなので覚えやすい。[into pieces] と絡ませれば「ビリビリに引きちぎる」イメージを与えることが出来る。

ちなみに [tear - tore - torn] で変化する不規則動詞。

Tom tore the book into pieces.
トムはその本をビリビリに引きちぎった。 

こんな感じです。

では、今日はここまで!!
またね!!

今日学んだ英語表現

今日学んだ言葉

 

「すっぽかす」

 I stand people up

 

「約束を破る」で[I break the promise.]や「約束を守らない」で[I don't keep my promise.]のような表現でも十分だとは思うけれど、さらっと「すっぽかす」を英語で言えたらと便利だなと思いました。

 

風の歌を聴け」のペーパーバックで「僕」が、[I thought you were not coming.]と言う、小指のない女の子に向かって[I don't stand people up]「すっぽかしたりはしないよ」という場面より。

 

 

「禁酒する」

[on the wagn]

 

「まさか禁酒しているわけではないだろう?」

[I can't see you being on the wagon.]

 

これも、もちろん[stop]や[drink]を[rule]あたりと絡ませれば表現は出来そうであるが、イディオムとして覚えておくと便利だと思いました。ちなみにDMM英会話の解答例には[stay away from drinking]なんていうのも載っていました。

 

[I'm on the wagon.]「今禁酒しているんだ」

 

 

「忠告していいかしら」

[Can I let you in on something?]

 

[let 人 in on]・・・「人に秘密を打ち明ける」

 

これは[advise]を使って[advise 人 to 〜]で「人に忠告する」で十分だと思いますが、表現として出てきたので一応紹介します。

 

ちなみに、(少し関係ない話ですが)「〜を教えて頂けませんか」は[May I have 〜?]でかなり広範囲をカバーできると思います。

 

 

「どうしたんだ?」

[What's with you tonight?]

 

「どうしたの?」[what happened?][What's the matter?]で良いのですが、少し違う感じで[what's with you?]なんていうのもいいかもしれませんね。

 

 

おまけ

 

今は小学校で英語を学ぶ時代ですが、小学校の先生の中には英語が苦手な先生もいて授業の終わりは[finish!!]と手をぽんとたたいて終わるそうだと鳥飼先生が著書の中で不満げに言っていました。

 

では、授業の最後に生徒にかける言葉としてどんなのがいいのかなと考えていたところ「実践ビジネス英語」の中で杉田敏さんが[That's all for today's lesson.]と言っていました。

 

言われれば簡単だけれどなるほどなと納得させられました。

まだまだ、勉強が足りないなと身につまされる思いがしました。

 

 

では、今日はここまで!!

またね!!

英語教育に一石を投じる一冊 やっぱり黙々と勉強することが英語上達の唯一の道なんだなぁ

 

『迷える英語好きたちへ』を読んだ。正直、英語の勉強にはならない。しかし、今の日本の英語教育に関する鋭い意見が述べられている本だと思った。特に「カタカナ英語」が溢れていることに著者の鳥飼先生も斎藤先生も憤りを感じているところが印象的であった。

日本の教育水準が高い大きな理由は、母国語で全ての科目が学習できるからである。勿論、日本人の英語力が世界的に見て低いということは長期的な戦略を持って何とかしなければならない課題だと思うが、その一方で全ての日本人が日本語を話し、ほぼすべての日本人が日本語を読むことが出来ること、そして、その日本語を通して全ての学問を学べるということの有り難さを私たちは忘れてはいけないのだ。

「最近の若者は5行の文が読めない」(勿論、日本語の話)という言葉を聞いたことがあるけれど、塾で子どもたちに勉強を教えているとこれは冗談ではないと実感する場面に多々出くわす。(そもそも母国語がそんなレベルなのに英語力をつけましょうというのは理論が破綻している気もするが・・・。)だから、もっと母国語を大切にしようよと思うのだけれど、周りを見れば中途半端なカタカナ英語のオンパレードである。

パンデミック」「オーバーシュート」その他もろもろも「感染爆発」とか「感染拡大」と言えばよいし、[stay home]ではなくて「家にいましょう」で良いのではないのか。(ちなみに、日本で使われている「オーバーシュート」は完全に間違った使い方だった為、さすがに最近は使われなくなっているように見受けられる。)

英語は英語の文脈の中で使うから意味がある。英単語を切り抜いて日本語の文脈の中で使うとPOPで、何となくもっともらしく聞こえるが、実は海外の人から見たら「?」であることばかりなのだ。

例えば、[social distance] は正確には[social distancing]である。しかし、このsocialには「階級」といった意味合いが含まれているから、単に人と人との距離をあけましょうという呼びかけの場合、[physical distancing]と呼ぶことをWHOは提唱しているけれど、そんなことは日本国内ではおかまいなしである。

と、そんな内容のことがこの『迷える英語好きたちへ』に多く書かれている。繰り返しになるけれど、英語の勉強として読むと期待はずれだが、今の日本の英語教育を知り、どの様に自分自身が英語を勉強すれば良いのか、もしくは自分の子どもにどのように英語を勉強させればよいのかを知るのには最適の本であると思う。

特に小・中学生の子どもを持つ親には読んでもらいたい一冊だと思った。


おまけ

英語教育はお金をかければ良いというものではない。筆者も数年前は英会話教室で英語を教えていたけれど、英語が出来るようになる人はそのような教室に通っても通わなくても出来るようになると思うし、その逆もしかりだと思う。

大切なのは「英語に取り組む姿勢」である。積極的に単語を覚えて、たくさん英文を読んでいく。英文がスラスラ読めるようになったら、間違いを恐れずに英文を書いていく。英文が書ける=英語が話せるということだから、すらすらと言いたいことを英文で表現できれば、それはつまり英語が話せるということなのだ。そして最後にネイティブとたくさん会話をし、スピーキング力と同時にリスニング力をつけていくという段取りなのだけれど、多くの人がネイティブと会話をすれば英語が自然と話せるようになると考えていて、そこの間違いを筆者は正したいのだけれど、どうすればよいのだろうか・・・。

「単語を覚えて、文法の勉強をする」→「英文を読む」→「英文を書く」→「ネイティブと会話する」

数年前に「ニューヨークで5年暮らしたけれど、英語は全く話せるようになりませんでした。」と、筆者が教える英語の初級クラスに参加する女性がいたけれど、これがリアルだと思う。

数年前に「スピードラーニング」という聞き流すだけで英語が身に着くのような教材が一世を風靡したけれど、筆者は「絶対にそんなことはない!!」と「スピードラーニング」の購入を考えていた両親を全力で止めた経験がある。案の定、スピードラーニングは現在生産中止になっている。当然だ。

「1週間で~」や「半年でビジネス英語が話せるようになる」などというのは絶対に嘘!!これは、本気で英語に取り組んできた人なら誰でも分かることだけれど、英語に本気で取り組んだ経験の無い人は、英語が話せたらいいなという軽い憧れから騙されてしまう。本当にこういう嘘でビジネスをしている連中に腹が立ってしょうがない。

英語は本当に難しい!!簡単に英語は話せるようにはならない!!英語の学習を本気で取り組んでいる人が、この事実をしっかりと周囲の人に伝えることが出来れば、馬鹿みたいな誘い文句で英語学習者を煽る教材は淘汰されて行くし、そうなって欲しいと本気で思っている。


おまけのおまけ

『迷える英語好きたちへ』の中で、洋書の原文を読もう!と斎藤先生は仰っているけれど、正直小説を英語の原文で読むのはかなり高度である。そこで、筆者がお勧めしているのは日本語の小説を英語にした本である。


左手に日本語の小説を置いて、右手にペーパーバック。これなら英単語のもつニュアンスを勉強することが出来る。ある程度の単語力と文法を勉強した人は、いきなり洋書を読むのではなく、この方法を試してみるのはどうだろうか。

ちなみに、村上春樹氏の小説は個人的に読みやすいと思うのでお勧めだ。

では、今日はここまで!!
またね!!

 

 

桜の絶景ポイント教えます

今日は上着を羽織らないでも日中快適に過ごせるほど暖かかったですね。当塾の中学生も全員無事県立高校に合格してくれて、体だけではなく気持ちも穏やかにこの日曜日を過ごすことが出来ました。

 

こんなに暖かいと桜も開花予想より一足先に芽吹くのではないかと期待して、自転車で先日紹介した桜のポイントを通ってみましたが、さすがに桜はまだ早すぎましたね。

 

でも桜は、早く咲かないかなと思う一方で、あっという間に満開を迎え、そしてあっという間に散ってしまうので、この咲くか咲かないかのタイミングが一番ウキウキするのも事実ですよね。

 

でも、ウキウキしながらいつもの桜が咲くのをただ待つのもつまらない。たまにはいつもとは違う桜の景観を楽しんでみてはいかがでしょうか。

 

そこで本日は、桜が咲く前に筆者の知っている桜のお勧めポイントをもう1つ紹介したいと思います。

 

国立駅南口の大学通りにあるドトール

 

国立といったら一橋大学。その一橋大学に向かって国立駅からまっすに延びる大学通りは、知る人ぞ知る桜の名所です。広い通りの両側には数キロに渡って桜の木がズラッと立ち並びます。ここをのんびり歩くだけでも十分気持ちよいのですが、筆者はその国立駅一橋大学の丁度真ん中あたりにある「ドトール」を推しています。

 

ここのドトールは3階建てで、2階が非喫煙ルームで3階が喫煙ルームとなっているのですが、筆者がここを推すポイントはその高さです。2階と3階のフロアは大学通りに対して(きっと意図的に)一面ガラス張りになっているので、2階でも3階でも桜の時期は丁度目の高さに桜が広がります。少し誇張した表現になるかもしれませんが、窓際のパノラマ席を確保できた日は、コーヒーを片手にまるで桜の雲に包まれているような気分になるのです。

 

大学通りを数キロに渡ってのんびり歩くのも良いですが、コーヒーを片手に程良く温度設定された室内で一人空想に耽るのも乙ですね。もちろん、一人じゃなくて家族と一緒でも、彼氏や彼女と一緒でも「きれいだねぇ」なんて言いながら過ごせば良い思い出になること間違い無しです。

 

ぜひ、チェックしてみて下さい。

 

 

おまけ

 

あくまで個人的な意見ですが、国立でデートするならお昼頃に来て、夜は別のところに移った方が良いと思います。(というのも国立は学園都市なので夜遊ぶ場所はありません。もちろんチェーンの居酒屋や個人でやっているフレンチレストランなどはありますが、あまりデートという雰囲気ではないと思います。)

 

そこで、お昼ご飯におすすめのレストランを最後に紹介します。

 

 

いたりあ小僧

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創業43年の老舗パスタ店です。値段はサラダなどを頼めば1500円〜2000円ほどするので、昼食としては少々高めだけれど味は間違いないと思います。(「モヤモヤさまぁ〜ず」でも紹介されるほどの名店です。)ただし、大盛りは結構大盛りなので気をつけて下さい。

 

昼に国立駅で待ち合わせをして、「イタリア小僧」でゆっくりランチをして、ぶらっと大学通りを散歩し(色々な店を覗いたりして)、最後にドトールでお茶をするなんていうのんびりプランはいかがでしょうか。

 

参考にしてみて下さい。

 

では、今日はここまで!!

またね!!

 

英語の新常識を疑え!?いや、これは名著である!!

今、Twitter上で横浜市にある「盤和寿司(ときわずし)」のランチが話題らしい。調べればすぐに分かるのだけれど、その値段に対するネタの質が良い意味でバランスを失っているとのこと。筆者もそれを確認してみたけれど、その内容は確かにこれで採算がとれるのかと店を心配してしまうレベルであった。きっと筆者だけではなく、そのボリューミーな寿司を見た人ならば誰でも、いつか横浜に行く際には忘れずに寄ってみたいなと思うはずである。

 

と、そんなことを感じたのだけれど、本日筆者が書きたいことはその盤和寿司の値段のことやネタの質に関することではない。

 

筆者は暇なときに[sora news24]というサイトを英語の勉強を踏まえて読むことにしている。そして、その記事の中でこの「盤和寿司」のことが取り上げられていたのだが、その見出しに[Sushi restaurant's crazy cheap lunch deal goes viral online]と書いてあり、それが筆者の目を奪ったのだ。


[sora news24]に関する過去の記事はこちら。

keisuke-english.com

 

[go viral]の[viral]は「ウィルス」という意味であり、この[go viral]で「(ウィルスのように)爆発的に広まっていく」と訳すのだけれど(俗語です)、先日読んだ杉田敏氏の「英語の新常識」の中で、このコロナの状況を考えると[go viral]は不謹慎だということで広く使われなくなってきていると書いてあったのだ。

 

まぁ、たいした話ではないのだけれどそれが頭に残っていたので、この記事を読んだときにふと手を止めてしまったのだ。日本人の感覚だとそこまで不謹慎には聞こえないけれど、ネイティブがこの記事を読んだらどういう風に感じるのだろうか。そんなことを考えてしまった。

 

ちなみに「津波」は[tsunami]と英語になっていて、本来の意味とは別に大きな危機を表現するときに使われている。(財政危機=financial tsunamiのように)しかし、東北大震災が起こったことで、この[tsunami]という言葉をそのような意味で使用するのは不謹慎だから止めようという動きになったのだが、最近は[gray tsunami]や[silver tsunami]のように高齢社会に対する危機感を表す言葉として再び使われ出しているとのこと。(「英語の新常識」より)

 

「痛みを忘れること」と「痛みを引きずらないこと」は別物なんだよな。そんなことをふと思った記事だった。

 

では、今日はここまで!!

またね!!